佐賀県唐津市に仕事で来ています。夏休みの家族連れでホテルは大盛況です。銀座のバー白カラス亭第二夜のヒントを見つけました。昨晩は佐世保で一万発の豪快な花火大会を見ることが、できました。明日、東京に戻ります。少々お待ち下さい。九州佐賀唐津にて 白カラス亭2006年08月07日
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佐賀県唐津市に仕事で来ています。夏休みの家族連れでホテルは大盛況です。銀座のバー白カラス亭第二夜のヒントを見つけました。昨晩は佐世保で一万発の豪快な花火大会を見ることが、できました。明日、東京に戻ります。少々お待ち下さい。九州佐賀唐津にて 白カラス亭2006年04月11日
白カラスのアメリカ道中記14
いよいよ、日本に帰る日です。午前3時30分に起床しました。なんたって、午前7時のフライト
なんで5時にはホテルをチェックアウトしなければなりません。
「あ、いけない!・・・忘れていた。
」
そうなんです、トランクの鍵が壊れていたんです。慌ててフロントに飛んで生きました。若くて可愛い女性のナイトスタッフに尋ねました。
「ご免なさい、ガムテープありますか?」
彼女は可愛いお目眼を白黒させて、首をしきりに傾けています。
「えっ、何が必要ですか?・・・ご免なさい、仰っている意味が判りません。」
「そ、そ、そのう・・・ガム・・テープ・・・が・・・。」
「え、ガムとテープですか?何だか訳が判らないんですが・・・・?」
「ほら、スティッキーなテープ。僕のトランクの鍵が壊れたんだ。
」
たまたま、そこにもう一人男性のナイトスタッフが現れて、助けてくれました。
「ああ、ダクトテープのことですね。トランクの鍵が壊れて、蓋が開いてしまうんでしょ。こちらでは、このテープのことをダクトテープって言うんですよ。
」
「ああ、良かった。ダクトテープか・・・・。なるほど配管業者が接続部に使用するテープだわ。」
彼が僕に渡して呉れたグレーのテープを見て僕はそう思いました。ところ変われば品変わる。言葉も違えば表現方法も違いました。
再びソルトレイクシティから例のサウスウエスト航空機でロスに向かいます。来る時の機長さんのように、駄洒落やジョーク連発ではないですが、非常に丁寧な説明の機長さんでした。
「右手の大きなすり鉢のような窪みがケネコット銅山です・・・。」
「ああ、今左手にグランドキャニオンが見えてますよ・・・・。」
「間もなくラスベガス上空です・・・・。」
流石に彼は『ギャンブルするならパラシュート貸すぜ!』なんてジョークは言いませんでした。ま、早朝ですし、結構皆さん眠っていらっしゃるようです。
ロスアンジェルス空港では国際線まで流石にバス
に乗りました。20分も歩く気はしませんでした。ロスでの乗り換えは、兎に角慌しくて、終始走っていました。成田行きの大韓航空は既に搭乗を始めてました。また、恐いスチュワーデスさんかなぁ?なんて思いながら搭乗しました。う、スチュワーデスさん、やっぱり顔が笑ってない。笑っているようでも、何故か引きつっていました。離陸後の昼食
で、「ビーフ」にしますか?「ビビンバ」にしますか?って聴いてます。僕は、にこやかに笑って「ビーフ」と言おうとしたら、黙って「ビビンバ」が僕のテーブルに置かれました。「ええっ!何も言ってないのに・・・・。
」どうも、ビーフは僕の後ろの列で終わってしまったようでした。大韓航空は確かに料金が安いのですが、サービスに問題がありますね。次回はANAかJALにしたいと思いました。でも、JALもANAも料金高いんですよ。
11時間のフライトお疲れ様ってな感じで成田に到着です。ラゲージテーブルで荷物を待つ間、麻薬犬
にしきりと足元の臭いを嗅がれて何故か、どぎまぎしてしまいました。味噌汁とおにぎりがしきりと食べたくなりました。
アメリカ道中記も14話まで行くとは思ってませんでした。とりあえず、今回が最終回です。続けて読んで下さった方に感謝申し上げます。次回からは再び、銀座のバー白カラス亭がオープン致します。どうぞご期待下さい。
2006年04月07日
白カラスのアメリカ道中記13
いよいよ、アメリカ滞在最後の夜となりました。ソルトレイクシティの中心街にあるホテルに移動しました。6人でお土産を探しに出かけました。モルモン教の本部があるテンプルセンターの方に電車で向かいますが、この方向の電車は無料なんです。面白いシステムです。降りる時は自分でボタンを押してドアを開けます。
旧ソルトレイクシティ駅は建物の一部が記念に残されてました。写真を撮ったつもりでしたが、電源が切れてました。ここにはショッピングモールがあります。お土産を物色した後、ステーキレストランで食事をすることにしました。
結構な構えの立派なステーキレストラン
です。
「ご予約はございますか?」
レストランの受付の女性が我々に聞きました。と、いきなり僕の横の女性が大きな声の日本語で
「6人っ!」
と言ったんです。僕は「えっ?
」と思いました。僕等は予約なんかしていない飛び込みのお客なんです。それも、日本語で言っているんです。
受付の女性が、首を傾げながら必死の形相で予約表を見ています。そこへマネージャーらしき男性が走り寄ってきました。
「お客様、どなたのお名前でご予約なさっていらっしゃいますでしょうか?」
マネージャーは非常に丁寧な言い方で我々に聞きました。すると、先ほどの女性が再び日本語で言いました。
「6人っ!」
これには、全員びっくりしました。すかさず横に居たもう一人の仲間の女性が、英語で答えてくれました。
「ご免なさい、予約なんかしておりません。6人なんですが席が空いていれば食事したいのですが・・・。」
「さようでございますか。では、少々お待ち戴けますでしょうか?」
マネージャーがレストランの客席の方に戻って行った。1分も待たせずに彼は戻って来て、笑顔で我々を席に案内してくれました。後で知ったのですが、このレストランは予約が必要なレストランだったのです。でも、このマネージャーの機転の利かせ方は、流石にプロだなと感心しました。
堂々と日本語で通せば、予約が必要なレストランでも入れてくれることが判りました。(笑)
日本語で「6人っ!」って言った、この勇ましき女性は私のワイフ殿です。この時の白カラスは多分目を白黒させていたに違いありません。
アメリカ滞在最後の晩餐とあって、BSE問題なんかすっかり忘れて、男性陣は16OZのリブロースニューヨークカットを注文しました。
16OZは1ポンドですから約454gもありますが、全員ぺろりと平らげてしまいました。旅行の最終日でもあり、気も大きくなり、胃袋も大きくなったようです。最後に先ほどのマネージャーがお客様のご機嫌伺いに来ました。
「お味は如何でしたでしょうか?ご満足戴けましたか?」
「ええ、とっても美味しかったです。
」
「食後に何かリキュールでも召し上がりますか、それともコーヒーを直ぐにお持ちしますか?」
僕等はコーヒーを注文しました。今回、マネージャーは流石に我がワイフ殿には聞かず、僕に直接聞きました。さて、コーヒーが運ばれて来ました。
わ、わ、わ、何だこの大きさは・・・!
カップがまるで日本のモーニングカップの大きさでした。やっぱり、アメリカは国もでかいが、胃袋もでかいと感心してしまいました。テーブルにチップを置き忘れて席を立ちそうになった、我がワイフ殿に僕は注意をして、満腹のお腹をさすりながらレストランを出ました。ホテルまでちょいと距離はありますが、腹ごなしの為に歩いて戻ることにしました。
さて、次回はいよいよ、白カラスのアメリカ道中記も最終回となります。
2006年04月05日
白カラスのアメリカ道中記12
さて、アメリカでの講義も今日が最終日です。昨日ホテルのフロントのレィディが明日は雪
が降りますよ、って僕を脅かしていましたが、今朝起きてびっくりしました。なんと外は真っ白ではないですか。夜中に雪が降ったのでした。どうりで寒いはずです。今朝もホテルの味気ないセルフの朝食を取らずに、車で5分の場所にあるレストランに朝食を食べに行きました。
体重が100kgはありそうな大柄なウエイトレスさんは非常に愛想が良く、感じの良い、笑顔が素敵な女性でした。カリカリベーコンにオニオンオムレツ、マッシュルームソテーにトーストにコーヒーと結構ハイカロリーの朝食を堪能しました。パンが不味いのはご愛嬌として、卵の朝食に満足満足・・・・
朝食を食べて外に出たら、何と空は真っ青に晴れ上がって
、雪を頂いた山々が目の前に在り、朝日を浴びて光っていました。
今日も昨日同様同じ大学の行動で、今度はフォーエバーグリーンの会社から、海洋性植物プランクトンが入った製品のビジネスの説明があります。朝食をお腹一杯に食べた僕は、眠くて眠くて、欠伸の連発でした。
昼食はサラダバーに3種類のスープとパン、そしてデザートです。サラダもスープも美味しかったのですが、どうしてもイースト臭い、もさもさしたパンに慣れることはできませんでした。
最終日にステージ上でスピーチを行ったのは、生まれた時から、両手が肘から先が無く、両足も膝から下が無い若い男性でした。彼は誰の援けも得ずにステージの上に、一段、一段と上り、ステージ上に用意された低い椅子に自分で座りました。ハンディキャップを克服した彼は、パラリンピックのレスリングで優勝しました。
『僕が優勝できたのは、両親のお陰なんです。何故なら、僕の両親はハンディキャップのある僕を、まるで普通の人と同じように扱ったのです。だから、僕は自分がハンディキャッパーだと思わずに済んだのです。こんな僕でもレスリングで優勝できました。こんな僕でも彼女がいます。こんな僕でもハンディキャップを克服できたのです。』
この言葉に、会場から割れるような盛大な拍手とスタンディングオベイションが起きました。何とも感動的な光景を見ることができました。アメリカ人の素晴らしいところは、兎に角ハンディキャップの人に理解があり、優しいことです。またハンディキャッパーの方々も独立心が旺盛で、できるだけ他人に迷惑を掛けないように努力します。我々日本人はもっと、もっと、ここいらを見習う必要があると思いました。
エネルギーに溢れていました。
午後4時、3日間の講義とトレーニングセッションが終了しました。我々もプロボ市にお別れして、I-15をソルトレイクシティに向かいます。今夜はソルトレイクシティに宿泊します。日本へのお土産も捜さなくてはなりません。トランクの鍵が壊れているのを思い出しました。
2006年04月02日
白カラスのアメリカ道中記11
さて、感動のうちに、
ハンディキャップの息子と父親の話が終了し、会場をあとにしたのは、午後10時半を回ってました。流石にこの時間になると、プロボのこの近辺で開いてる店は少ないようです。なんとか1件のドラッグストアーを見つけて、コーヒー
を買いました。
ホテルに戻り眠りについたのですが、コーヒーと時差ボケのせいで、直ぐに目が覚めてしまいました。未だ午前3時30分です。ベッドの中で眠られずにモンモンとしてました
。
午前7時30分、今日もソルトレイクは快晴です
。ホテルの不味いセルフの朝食を避けて、外で食べることにしました。近くにマックのドライブスルーの大きな、黄色のMが見えたので、歩いて向かいました。吐く息が白く見えます。10分経っても、着きません。15分でも未だ着きません。25分後やっと到着しました
。看板はあんなに近くに見えているのに、やっぱりアメリカは広大です。店の近くで見たら看板のでかさに驚かされました。これじゃ近くに見える筈です。
今日は8時30分から、昨日と同じ大学の講堂で、教授による講義が始まります。同時通訳が付くので、言葉は心配ありません。
難しい講義が続き、時差ボケの僕は眠くて仕方ありませんでした。人間の体の細胞の一つ一つが工場でその工場の発電ヴォルテージが下がると病気になり、ついには死んでしまうそうです。
午前中の長い講義が終わり、やっと昼食です
。広い大学の講堂の中にサンドイッチバーが設営されました。大きなチーズトマトバーガー
とサラダにフルーツに飲み物です。チーズトマトバーガーはでかいのですが、美味しくありませんでした。期待してたのに残念です。
アメリカに来て驚きましたが、パン類が非常に美味しくないことです。これは声を大にして言えますが、アメリカのパンは不味いです。アメリカ在住の皆様ごめんなさい。朝食のマックのバーガー
のパンも美味しくなかったです。
午後の講義も難しいです。同時通訳の方も専門用語に度々詰まってました。海洋性植物プランクトンが人体にもたらす効果の説明がありました。
午後1時からまた、色々な教授の方々の講義が続きます。「眠たい~!」延々と続いた講義も午後4時には終了しました。夕食はSea Food Restaurantでのご招待Dinnerがあります。夕食が楽しみですが、それまで、ちょっと買い物にでも出ようと思います。
2006年03月29日
白カラスのアメリカ道中記10
午前中のコミュニティーサービスで、恵まれない子供達の施設とご老人のDay Care Centerを訪問した疲れと、時差ボケでホテルに戻った僕は、やっぱり寝てしまいました。
夕方5時半に早めの夕食をバイキング形式のレストラン
で取ることにしました。愉快な黒人のおじさんウエイターJoeさんが、明るくもてなして呉れました。でも若いウエイトレスは無愛想で感じが悪かったです
。
兎に角、これでもかっ、というくらい、沢山のお料理が山のようにあります。ローストビーフもベイクドハムもでっかい塊を太ったお兄さんが、目の前で切り出してくれます。それにデザートもたっぷりありますが、ホイップドクリームの山を見た僕は胸焼けがしてしまいました。
大学の講堂で午後6時30分から始まった夜のセッションは、ハンディキャップの息子と父親がトライアイスロンに挑戦するVTRでした。既に30歳を超している息子は、3歳の時の事故が原因で、話す事も、歩く事も、両手も両足も不自由でした。
この息子が自分からトライアイスロンに参加したいと父親に懇願しました。父親は息子の為に泳ぎを習い、練習の為に湖の近くに引越し、息子を乗せる特殊な自転車とマラソンの為の手押し車を用意しました。泳ぐ時は息子をボートに乗せて父親が泳ぎ、ボートを引っ張ります。次の自転車は特別に改造され、前に息子を乗せて40qを走破します。最後のマラソンでは息子を乗せた手押し車を父親が走りながら押します。この父親と息子がゴールした時、空は既に真っ暗になってましたが、走り切った父親に息子が感謝の涙を流していたのです。息子の為にこれだけの努力をする父親がいます。会場の参加者全員が感動で涙を流しました。僕も泣きました。
この父親が実際にステージに現れました。会場の参加者全員が立ち上がり、会場には割れんばかりの拍手の波が起こりました。スタンディングオベイションは5分間も収まりませんでした。
彼は既に65歳になるそうですが、今年また息子と一緒にトライアイスロンに挑戦するそうです。彼が最後にこう言いました。
「凄いとも思ってないし、努力しているとも思ってない。兎に角何かを始めるのに遅いということはない。始めなければ何も起きない。」
僕はこの父親の言葉が何時までも忘れられません。
2006年03月26日
白カラスのアメリカ道中記9
運動場を駆け回っていた子供達が、ヴォランティアのお母さん達に呼び戻されました。子供達がそれぞれの教室に入って行きます。実は、お昼ご飯
なのです。子供達がお手伝いしてランチが教室に運び込まれます。え〜と、今日のランチは何だろう?おやおや、これは凄いランチです。
野菜スープ、ローストビーフ、マッシュポテト、ミルク、デザートは苺です。日本のお父さん達の牛丼や盛り蕎麦より、余程豪華で栄養満点のランチです。このランチも全て、企業からの寄付で賄っているそうです。
お隣にある、老人のDay Care Centerをちょっと覗いてみました。おや、音楽
が聞えてきました。実はご老人達がヴォランティアの方々とダンスを楽しんでいたのです。85歳のおばあちゃんが僕をダンスに誘って呉れました。しかし、チークダンスしか知らない白カラス亭は、ダンスは大の苦手なんで、丁寧にお断りして、首を縮めて退散しました。おお恥ずかしかった!
ランチも施設の運営費用も全て企業からの寄付です。アメリカではどんな大企業でも、社会貢献を行わない企業は、立派な企業としては認めて貰えません。恵まれない子供達への奉仕、麻薬の撲滅運動、ハンディキャップの方々への資金援助、ほとんどの企業が会社の理念として、このような社会貢献を取り入れてます。社会貢献や社会福祉への取り組み方は、日本企業も見習うところは多いと思いました。
2〜3時間の短い施設の訪問でしたが、今回の訪問で色々考えさせられました。僕等は、日本でどのようなことが出来るのでしょうか?国が違い、文化も風習も違うのですから、同じ方法ではできないかも知れません。でもきっと何かできる筈です。
さて、僕等もランチタイムです。近くのチャイニーズグルメという、中華バイキングのレストラン
に入りました。好きな具材をお皿に盛って、コックさんに渡します。モンゴリアンプレートという大きな鉄板の上で具材を好みの味で仕上げてくれます。僕はお肉と野菜たっぷりの焼きソバを作ってもらいました。
夕方から始まるセッションに未だ時間があります。再びI-15
でプロボのホテルに戻ります。買い物にでも行こうかと思いました。しかしお腹が一杯になり、時差ボケも加わって、急に睡魔が襲って来ました。だめだぁ〜、寝ちゃおうっと。
2006年03月24日
白カラスのアメリカ道中記8
この日、コミュニティ・サービスで恵まれない子供の施設を訪れた我々を、ボランティアの方々が暖かく迎えて下さいました。とりあえず、この施設の100年の歴史や企業からの援助について説明して下さいました。
コの字型の大きな施設には子供用の体育館、それぞれの年齢別の教室、清潔なトイレ、事務室、遊戯室、応接室、調理場、談話室、がずらっとならんでました。コの字の内側が外の運動場になってました。僕は外の運動場で子供達と遊ぶことにしました。
「ねぇ、ねぇ、君は何て名前?幾つ?」
「・・・・・・・・・?」
子供は、はにかむだけで答えてくれません。でも人懐っこくまとわりついて来ます。その時ボランティアの奥さんの一人が僕に言いました。
「この子達の多くは、スパニッシュ系で英語を話せないんです。言葉は解らなくてもみ〜んなとても良い子達です。」
そうだったんだ、スペイン系の移民の子供達なんだ。
「この子供達の両親或いは片親ですが、年収150万円の収入もないんです。収入の多い職業に就くことができないんです。」
可愛い女の子が僕の側に来ました。ピンクの可愛いスキー用のジャケットを着てましたが、あれっ、と思いました。
「ねぇ、ねぇ、ボタンが一個も無いじゃない。ボタンどうしたの?」
「ボタン?ボタンはマミィが取ったわ・・・。」
見え難いですが、スライドの中に写っているのが僕と女の子です。
その子は明るい笑顔で英語で応えてくれました。そしてボランティアの奥さんがそっと僕に教えてくれました。
「この子の母親は、幼児虐待の癖があるんです。この子の着ているものを引きちぎったりするんですが、体罰を与えるようなことはしないので、現在は観察中です。」
ジャケットのボタンを母親が引きちぎっても、澄んだ瞳で外国人である僕に、笑顔を見せてくれた女の子は、天使のように明るく、無邪気に走り回ってました。
「どうして、そんなところに君は生まれてしまったのだろうね?」
僕は心の中に疑問を覚えました。神様のなさる事を僕等人間が推し量ることは恐れ多いことですが、僕は涙がこぼれてしまいました。
2006年03月22日
白カラスのアメリカ道中記7
アメリカ滞在2日目です。今朝も快晴、
本当に目の前の山々が美しく見えます。でも気温は流石に低いです。・・・うっ、寒い・・・ホテルのフロントのお嬢さんに言われました。『日中は暖かいですよぉ〜。大丈夫』って、大丈夫だけ日本語で言ってくれました。大丈夫って日本語知ってるアメリカ人は結構多いです。
ユタ州の山々は本当に美しい
今日は朝8時30分に、今回我々を招待して下さった。フォーエバーグリーンの本社に先ず集合です。おやっ!何だか人が一杯この会社の駐車場に集まってます。・・・・街のボランティアの方々でした。
日系の社員の方から説明がありました。『皆様には午前中、コミュニティサービスに行って戴きます。ここに集まっていらっしゃる街のボランティアの方達と一緒に、恵まれない子供の施設で、子供と一緒に遊んで下さい。』
空港から来たI-15を、例の大型ワンボックスカーで再びソルトレイクシティーに戻ります。途中、左手に鉄条網で囲われた大きな施設が見えました。僕の隣のアメリカ人が説明してくれました。
「あれは刑務所さ。手前が女囚刑務所。奥が男用。」
「何で、こんな幹線道路沿いの目立つ場所にあるの?
」
僕は不審に思って聞き返しました。
「それはね、子供達に悪いことをすると、あそこに入れられるんだよ、って親が子供を教育する為だよ。」
「ふぅ〜ん、そうなんだ。でもアメリカで犯罪は減らないよね。」
「そうだね、多分子供は誰も親の言うこと聞いてないんだよ。」
そんなものかなぁ〜、それじゃ簡単すぎると僕は思いました。
ソルトレイクシティの中心部から西に少し行った場所にその子供の施設がありました。この施設は100年以上の歴史があり、ボランティアの方々が沢山いらっしゃいました。隣には、お年寄りのDayCareの施設もあり、100歳近いお年寄りがボランティアの人とダンスを楽しんでました。
この施設は各企業の資金援助で成り立っているのです。アメリカの企業の素晴らしいところは、商売が儲かったら、必ず社会貢献をすることです。フォーエバーグリーンもユタ州の65校の給食を提供し、麻薬撲滅や身体障害者に資金援助をしているとのことでした。
さて、僕は此処で子供達と遊び、そして涙を流すことになりました。
発展を掲げるアメリカのきらびやかな表の表情と、その裏にある悲惨な現実を垣間見ることになってしまったのです。
2006年03月20日
白カラスのアメリカ道中記6
やっとついたようです。
大学の町、人口約10万人のプロボ市です。ん?何だか人が全然見えませんよ。ホテルの前も広々としています。直ぐ近くの道路は車
が、がんがん飛ばしているのですが、兎に角人の姿が見えません。美しい山々が目の前に迫ってます。人が恋しくなるくらい人口密度が低いのでしょうね。西友やヨーカ堂へ買い物に行くママチャリーオバサンも、此処にはいません。
旅行トランクを部屋に入れました。あ〜あ、なんてことですか!トランクの鍵が壊され、トランクを縛ったベルトも壊されてました。
トランクには鍵を掛けてなかったのですが、無理やり蓋を開けたらしい形跡が残ってました。こんなこともあろうかと、鍵を掛けてなかったのに、ご丁寧に鍵を壊す奴がいました。
やれやれ、帰りはガムテープが必要になりそうだとひとりしょんぼりしました。
此処が宿泊したホテルです。一応ジャグジーやプールもありましたが、朝食は最低でした。ベーコンも卵もソーセージもありませんし、全てセルフサービスでした。
トランクの鍵を壊されて、がっかりする僕です。
午後7時から大学構内の講堂で、チョコレートフォンデュパーティーがありました。
カナダ、オーストラリア、勿論アメリカの方々とお話ししながら、溶けたチョコレートを、山のように積まれたアメリカサイズの超でかい苺やキィウイやバナナにたっぷりと付けて食べまくりました、ところが・・・・ああ、ああ、どうしょうよう。溶けたチョコレートがカシミヤの上着やワイシャツに点々と・・・・
話に夢中になって、溶けたチョコレートが滴っていたのに気が付きませんでした。洗濯に出す羽目になりました。日本に帰ってから出そうっと。
でもチョコレートフォンデュパーティーって食事が出ないので、お腹が空きました。午後9時過ぎにプロボで食事が出来るレストランってあるのかしら?僕等は不安になりました。なんせ本当に何もない街なんです。
ラーメン屋もCoco壱番屋も無いですから。
2006年03月17日
白カラスのアメリカ道中記5
午後3時、我々一向12名は荷物を引っ張って空港
から外に出ました。空は真っ青で快晴です
。う〜ん、美味い!
空気が澄んでいます。兎に角空気が臭くないんです。
さて、今回の主催者である会社から日系社員の方が車で、我々をピックアップに来て下さいました。えっ、我々12名と大きなトランクが10個以上ありますよ。全員乗れるのかな?・・・・心配は無用でした。これまた、日本ではお目に掛かれない、どでかいダッジのワンボックスカー
が我々を待ってました。
「これって、何人乗り?」
僕は直ぐに聞きました。日系社員の方はニコニコしながら答えてくれました。
「15人乗りです。今朝隣の家から借りてきました。」
「ひぇ〜、
これって普通の家庭で使ってるの?こんな大きなワンボックスカー・・・。ヨーカ堂や西友の駐車場じゃ断られるよ。」
「ええ、普通ですよ。この持ち主の一家も、夫婦二人に子供が8人と両親の12名家族で、犬と猫が沢山いますよ。」
驚いた。車もでかいが、家
も多分でかいのだろう。我が家は夫婦二人と犬
のクッキーで、もう狭いですから。
「ああ、心配いりません。日本で言うところの一坪¥100の場所もありますから。」
これを聞いていた全員が、口を開けて驚いた。
「一坪100円だと!!
」
「ああでも、ソルトレイクシティの隣のオレム市の一等地は勿論高いですよ。これからそのオレム市を通過し、I-15を南下しプロボ市に行きます。プロボ市はユニバーシティーバレーと呼ばれる大学都市です。ブリガムヤング大学があります。」
兎に角、まだ地図が良く飲み込めてないので、何処がどこだか良く判らない。
この大きなワンボックスカーに乗り込もうとして、いきなり僕はスキーで頭を殴られてしまいました。スキーを担いだ男が、急いでどこかに行くところだったらしのです。その男はスキーで僕を殴ったことは知らない様子でした。まだまだ、スキーシーズン
は続いているんです。いきなり時差ボケの頭がすっきりしました。怪我が無くて良かったです。
さあ、空港に別れを告げて、これからの数日を過ごす、プロボ市に向かいます。カナダからカリフォルニアに通じる大動脈のI-15に入りました。片側6車線のI-15(インターステイト−15の略)は、車がぶっ飛んで行きます。ボロボロの車もあれば、ピカピカのスポーツカーもあれば、飛行機並みにでかいトレーラーも飛ばしています。おっ、ハマーのH2か?まるで軍用車のように力強いSUVが追い抜いていきました。でもハマーが大きく見えないんです。さてさて、日本車の多いのには驚きました。これだけ日本車
が多かったら、そりゃぁ自動車の輸入問題は起きますよ。なんたってこのフリーウエイの両側に日本車メーカーの看板が結構沢山あります。
「ほら、右手のずっと向こうに、赤茶色の平べったい山が見えるだろう?」
同行したアメリカの友人が僕に言いました。快晴の空の下、そこだけ茶色の低い山が見えました。
「ああ、見えるよ。あれがどうかしたの?」
「あれが、有名なケネコット銅山だよ。」
「へぇ〜、ケネコット銅山?何で有名なの?」
「知らないの?あの銅山は世界で一番でかい露天掘りの銅山で、山頂からすり鉢のように穴ぼこが開いているんだ。直径が4kmで深さが800mもある。展望台もあるから、この次は見に行けばいいよ。」
兎に角、アメリカ人は何でも世界一が好きだし、世界一にしたがる国民のようです。でも確かにでかいですね。
ところで、もう30分もI-15をワンボックスカーを走らせているんですが、未だ着きません。車で1時間くらいの距離は、彼等は近いと言うのです。左手には雪を頂いた山々が手に取るような近さで連なっています。右手には空から見た、ユタ湖が見えてきました。そろそろ目的地に到着のようです。
2006年03月14日
白カラスのアメリカ道中記4
ロス・アンジェルスからサウスウエスト航空機
で約2時間かかって、やっと目的のソルトレイクシティに到着です。飛行機が高度を下げて午後の光に輝く大きな湖が見えてきました。
「乗客の皆さん、お待たせ。ソルトレイクシティに到着だ。しかし〜下に見えてる湖はソルトレイクではないぞ。嘘だと思うなら、水を舐めてみな。NO SALT !だ。あれはユタ湖だ。」
例の調子で機長の説明が入りました。しかし、ユタ湖にも余り魚は棲んでいそうにないです。漁船の姿が一艘も見えないし、漁港らしき港も無いのです。隣に座ったアメリカの友人が釣りは出来ると言っていました。機体がどんどん高度を下げてます。
「乗客の皆さん、しっかりと座席ベルトを締めとけよ。ズボンのベルトじゃないぜ。座席のベルトだ。ジェットコースーター並みに着陸だ。」
今度こそ、塩の湖であるグレートソルトレイクが見えてきました。日本の琵琶湖の9倍の面積を持つ非常に大きな湖です。塩分濃度は何と海水の8倍だと聞きました。それじゃ生物は棲めないですね
。
まさに、ジェットコースーター並みのランディングで、着陸した時に『キャホッー!』と機長の奇声がスピーカーから聞えてきたのには再度びっくりしました
。
「どうだい、俺の腕は・・・すっげぇ〜ランディングだったろう。さあ、着陸したぜ。さっさと降りなよ。俺は忙しいんだ。Thank You Very Much Folks!
」
最後の機長の親しみを込めた、乗客への挨拶が非常に素敵でした。ま、日本語に直訳すると、『みんな、ありがとうっ!』てな感じですかね。サウスウエスト航空は全米一の人気航空会社だと後から聞かされて、うんうん、と納得しました。こんな機長がいるなら、そりゃぁ、また乗ってみたくなりますよね。
アメリカ大陸をニューヨークからサンフランシスコへ横断する大動脈の幹線道路I-80
と、カナダからカリフォルニアに南北に抜けるこれまた大動脈道路I-15
の交差する西部11州の中心地、人口19万人のソルトレイクシティに到着しました。
1847年というから、明治維新の21年前、江戸時代末期にモルモン教徒の作った街です。モルモン教はキリスト教の中でも戒律が厳しく、コーヒー、コーラ、酒、煙草は一切たしなみません
。避妊も最近までは駄目だったそうですが、現在は器具を使用しなければ避妊は認めれているようです。こんなソルトレイクシティがあるユタ州は、全米で一番治安の良い州なんですって。
Baggage Claimまでの長い長い通路を延々と歩きます。途中通路脇に子供を遊ばせるエリアがあるのはアメリカらしいです。驚いたのはBaggage Claimに迎えの人も入って来ることが出来るんです。Baggage Claim Tagを取る担当者なんていません。回転する出てきた荷物を勝手に持って、各々勝手に空港を後にします。将に自己責任の国です。
本当に長旅でした。やっと着きました。僕は背中を伸ばして、空の旅の疲労を実感しました
。
2006年03月13日
白カラスのアメリカ道中記3
早いもの順で、狭いサウスウエスタン航空機
に乗り込みました。将に乗り合いバス
状態です。わあわあ、ぎゃあぎゃあ。
整然と搭乗しております?とんでもないです。真ん中の細い通路を挟んで両側に3席ならんでます。もしかて・・・・補助席なんか無いよね?・・・・流石に補助席はありませんでした。
機内にジャンパーを来た、黒人系スキンヘッドの男性と眼鏡の金髪白人男性と太ったオバちゃんの3人が、動き回っておりました。狭い通路でこの3人が非常に邪魔なんです。
この3人って、スチュワードにスチュワーデス??
「ピン・ポンッ!」ビンゴです。この三人はサウスウエスト航空の乗務員でした。ジャンパーが制服ですか?スキンヘッドの黒人男性なんて、ちょっと可愛い黒人女性
の横で何やら話し込んでいます。
おいおい、あんたお客様を口説いているの?・・・仕事しろよ、仕事。
ところが、この3人以上に面白かったのが、何と何とこの飛行機を操縦する機長なんです。兎に角、良く喋る、喋る、喋る。勿論マイクで喋っているから機内放送なんですが、駄洒落あり、大法螺あり、ずっこけありと、機長あんたはアメリカの芸人さん
?
「おい、さっさと座んなよ。美人の隣に座ろうと思ってるオヤジは自分の女房で我慢しな。」って搭乗開始のアナウンスです。
「当機はただいまから離陸します・・・・危ないから捕まっとけよ。」と離陸する時です。
「ギャンブルしたい奴は言って呉れ。パラシュート貸すから。」ってラスベガス上空を通過した時です。ソルトレイクシティに向かって遥か右手にグランドキャニオンが見えてます。下はまるで不毛の砂漠地帯です。
「悪い、悪い、昨日ちょっと飲み過ぎでさ、だれかゲロ袋持ってないか?」って気流の悪いところで機体が大きく揺れた時です。
「おい、浮気亭主が機内に居るかい?お前んちの女房から電話が入ってるぜ。」って何の前触れも無い機内放送です。
「これから着陸するけど、ケツが重いんだ。太っている奴は前に来てくれ。」って着陸直前です。
「今日は、何とか上手く着陸できたなぁ。おい、さっさと降りて呉れ。俺は忙しいんだ。」って着陸してお客様が降りている時です。
これが、お客様に馬鹿受け
なんです。機長がまた何を言うか、皆期待してんるんです。いやはや、日本の航空会社では絶対に考えられないですね。
でも、機長も2時間お客様を狭い機内で退屈させないように気を配ってるんです。これもアメリカ流おもてなしでしょうか。日本を出発して15時間で、
やっと目的地であるソルトレイクシティに到着しました。疲れたぁ〜!
2006年03月10日
白カラスのアメリカ道中記2
ロサンゼルスの国際空港から延々と歩かされ
、サウスウエスト航空のチェックゲートでミートボール呼ばわりされた僕は、国内便のソルトレイクシティ行
を空港内で2時間待つことになりました。
不味いデニッシュペィストリーとティーレモネードをただ胃に流し込んだのです。これが、良くなかったとみえ、とたんに便意を催しました。同行の方々に荷物を見てて貰って、トイレ
に駆け込みましたよ。ズボンを降ろして、便座に座ったんです。
と、異様な感じに襲われました。・・・ん?・・・・へ?・・・・何か変?
そうなんですよ、便座に座った僕の脚は床に届いていないのです
。爪先立ち状態なんです。つまり、便座の位置が日本より高い位置にあるのです。
僕は身長173cmで平均的な体格の日本人ですが、平均的なだけに、胴体が長く、脚が短い欠点を持っております。僕は思わず苦笑いしてしまいました。
「俺って、脚みじか〜ぃ!
」
実は、小便器も高い位置に付いておりますので、お〇〇〇んの先っちょが便器に触れないように注意が必要です
。
さて、やっとサウスウエスト航空への搭乗開始になりました。僕は、自分の搭乗券を見て、不審に思いました。座席番号は記入されておらず、ただ大きく『B』の文字が印刷されてあるではないですか。何じゃこれ・・・・?。
実は、誰の搭乗券にも座席番号は無く、早い者順で搭乗なのです
。ただ、『A』、『B』、『C』の三種類の搭乗券があり、『A』は定額でチケットを購入された方、『B』は団体割引等のディスカウントのチケットの方、最後の『C』はもっとディスカウントか、航空会社の割引券の方なのです。Aから順に搭乗します。A,B,Cと3列に搭乗券別に並ばされました。ディズニーランドの入場と同じか?
更に面白いのは、『この便を譲って下さる方には$100のキャッシュと、このサウスウエスト航空会社の国内便の無料片道エアーチケットを差し上げます。』なんて放送をしているではないですか。ひぇ〜大胆な放送をする会社です。
ところが、ちゃんといるんですね、譲る方が。このキャンペーンは学生達に人気があり、結構アルバイトになるらしいです。ま、次の便までまた2時間〜3時間空港内で待つことになりますが。と、言うことは・・・何!何時もオーバーブッキングしてんじゃないですか!
譲る人が現れなかったら、『C』の搭乗券で最後の何人かは、「すいません、満席ですから次の便でお願いしま〜す。
」ってやる訳ですから堪りませんよね。
お国が違えば、風習も違います。便器の高さも違います。白カラスは戸惑いながら、いよいよ目的地のソルトレイクシティに向かいます。
2006年03月08日
白カラスのアメリカ道中記
3月1日の午後2時に成田を出発して、同日の朝、午前7時30分にロサンゼルスに到着しました
。大韓航空だったのですが、スチュワーデスさん、とても美人でしたが、えらく恐かったのです
。笑顔がありません。何か頼むと怒られそうなんで、オシッコ我慢して漏らしそうになりました
。
さて、ロスの国際空港ロビーから外に出てびっくり、なんだこの暑さは・・・!しばし絶句です。ロスの空は真っ青で快晴
。気温は既に20度です、真冬の格好の僕が暑く感じるのは当然でした
。
国際線ターミナルから国内線ターミナルへ移動します。同行したアメリカ人が、『天気も良いし、国内線は直ぐ近くですから歩きましょう。』と僕等を先導したのです。シャトルバス
があるのになぁ、と僕は思ったのですが、此処はご当地生まれの方にお任せしました。
歩けど、歩けど到着しません。既に20分を経過しました。背中からお尻に流れる汗を感じました。真冬の格好で気温20度の中、ビジネスバックを肩に掛け、でかい25Kgのトランクを引っ張っているのです。彼等のイメージする近い!には騙されました。「もう騙されないぞ!」ってサウス・ウエスタン航空の国内線ロビーに入って、K-1のホイス・グレーシーを発見。早速記念写真を撮らせて貰いました。暑さでボケたのか、サインを貰い忘れてしまったのです。
サウス・ウエスタン航空
への乗り換えでも、服装チェックが行われました。上着もコートもベルトも全て外して、靴も脱いでチェックゲートをくぐります。チェックゲートの脇に推定150kgは有りそうな恐い顔をした警備の黒人おばさんが僕に聞きました。
「もう、何も持ってないわね。」
「ええ、パンツの下にゴールドボールを二個持ってますが・・・。」
黒人おばさんは大きなお腹をゆすって大笑いしました
。
「金属探知機が鳴らないから、そりゃミートボールだわ。」
僕は、ウィンクしてゲートをくぐりました。白カラス亭、多少は英語を話せるので、これは、実際に英語での会話です。次回はロスからソルトレイクシティまでの道中です。
2006年03月08日
帰国しました
昨日の夜、帰国しました。海抜1,000m以上の場所にあるSaltLakeCityは寒いですが、とても空気の美味しい、治安の良い場所でした。キリスト教の中でも特に、戒律の厳しいモルモン教の聖地です。モルモン教徒はお酒も煙草もコーヒーも飲みません。
恵まれない子供の施設を訪問した様子をスクリーンで紹介してます。スクリーンの中に映っているのは、施設を訪問した際の僕です。2000人の前でスクリーンで日本から来たと紹介されました。
夕焼けの山々です。空気が澄んでいるので、物凄く近くに見えます。
自分の目でこの会社の製品を見て、会社の組織、物流倉庫、会社の社長、副社長とも直接、何時間も面談しました。糖尿病に苦しむ自分の為、癌や他の免疫不全の病気で苦しむ人達の為に、僕はこの商品を日本で広げることを決心しました。この製品に興味を持った方、この商品を僕と一緒に日本で広げるビジネスに参加されたい方は是非僕にメール下さい。アドレスは下記の通りです。
2006年03月05日
今日も講義を受けてます。
今日も大学で細胞やミネラルの講義を受けてます。海洋性植物プランクトンが現状では唯一細胞のボルテージを上げるとの発表されました。始まりにアメリカンスクールのブラスバンドの演奏で歓迎された、2000名の参加者から盛大な拍手が起こりました。2006年03月04日
2006年03月04日
Utah Vally State Collegeにて
2006年03月03日
今日もソルトレイクシテイは快晴
2006年03月02日
ユタ州ソルトレイク到着
ロスから飛行機で、更に二時間でやっとソルトレイクシティに到着です。日本からは本当に遠いです。今日は快晴で空気がとても澄んで、気持ちが良いです。2006年03月02日
ロスに到着
これからソルトレイクシティに向かいます。ロスは快晴で暑いくらいです。ロスの空港でK-1のグレィシーに逢いました。2006年03月01日
癌や糖尿病をぶっ飛ばせ!
急に何時ものと違うタイトルにびっくりされましたでしょう。
『癌や糖尿病をぶっ飛ばせ!』
・・・・朱尾 晃輝の告白・・・・
義母は2年前に甲状腺癌の手術を受けました。年なんで進行が遅いのが救いです。
僕は10年以上前からU型の糖尿病と診断されて、毎食薬を離せません。
そんな折、アメリカの友人から朗報が入った。
画期的な製品が開発された!・・・アメリカに来い!
薬では無い、ドリンク剤とのこと。DVDが送られて来たので見た。
バンクーバーの海洋牧場・・・・
冷たい透明な済んだ海の水で育った植物性プランクトン
肺癌で余命9週間と言われた、海洋牧場のオーナーが何気無く食べた植物性プランクトンが彼の命を救った。
そこで、彼等は考えた。これが製品化されたら、沢山の人間を救えるかも!
しかし、薬として開発するには、80%の患者に効果が認められたとの、膨大な臨床データーが必要で、その為に何年も必要になる。それに開発費用も楽に100億円を超してしまうとのこと。
またまた、彼等は考えた。食品=ドリンク剤として売り出す。しかし、世界一厳しいと言われるFDA(アメリカ連邦食品安全局)の認可を受けなければならない。
でも、彼等は挫けなかった。ついに製品化に成功し、アメリカでは既に先行販売を開始していた。
また、この会社ではない第三者機関によって、著しい効果が現れた事例も数多く発表された。
日本の薬事法の規制で、このブログ上で製品名や会社名、効能を明記することは禁止されてますので、書きません。僕はあくまで日本の法律に従い日本の法律を遵守する人間です。
さて、僕はそれを自分の目で見、自分で説明を聞いて、納得して日本でこの製品を流通させることが出来るか考えてきます。
そこで、僕は明日から6日迄、この会社の本社があるアメリカのユタ州ソルトレイクシティーに行ってきます。
帰国報告をブログで発表しますが、薬事法の関係上、詳細は僕に直接メールを下さった方にのみ発表いたします。道中記をメールできたら写真付きで致します。
では、行ってきます!
2006年02月24日
Happy Birthday to Shimizun!
Happy Birthday to you !
Happy Birthday To You,
Happy Birthday Dear
Shimizun,
Happy Birthday To You !!
お誕生日オメデトウ、これからも、宜しくお願いします。
コムズネットの清水紳司社長へ
白カラス亭より・・・心を込めて。
2006年02月13日
我が家のクッキー四ヶ月です
2006年02月05日
埼玉県蕨市の蕎麦割烹「まる輔」さん
埼玉県蕨市(ワラビシ)蕎麦割烹「まる輔」さんです。僕がちょくちょくお邪魔する、お蕎麦屋さんです。今まで食べたお蕎麦屋さんの中で、一番美味しいと思っているお蕎麦屋さんです。
「まる輔」の看板娘の「あゆみ」ちゃんです。とっても明るくて気さくで、何時もお客様に気を遣っている素敵なお嬢さんです。独身ですよ。
「まる輔」のマスターです。「あゆみ」ちゃんのパパです。一見すると高倉健さんに似てます。親子そろって明るくて気さくなお父さんです。休日はパパスのファッションで決めているダンディーパパです。
美味しそうな、揚げたて天麩羅蕎麦です。兎に角お出汁がばつぐんに美味しい。お奨めはこのお蕎麦とがんも稲荷とお握りです。
兎に角、お蕎麦だけじゃなく、他のお料理も美味しいです。何時も常連客で一杯です。お近くの方は是非行ってみてください。川口市から第二産業道路を真直ぐ進んで、蕨駅入り口の交差点を渡った直ぐ左に大きな看板が目印です。
2006年01月29日
神奈川県寒川神社に来ました。
今日は、相模国一ノ宮の寒川神社に来ました。八方除けのご利益では、全国一のお力がおありになる、有り難い神様です。2006年01月27日
今朝のクッキー
2006年01月25日
ここがガス灯通りです
この通りが、銀座三丁目ガス灯通りです。銀座のバー白カラス亭の舞台です。2006年01月17日
城崎温泉の蟹
白カラス亭が諦めた。老舗旅館『ゆとうや』さん自慢の蟹だ。うわ、美味いだろうな。2006年01月17日
白カラス亭城崎でダウン
城崎温泉に来る途中から、こら変だ。ひどい腹痛が断続的に襲う。額からは冷や汗が流れるし下痢が止まらない。天皇陛下もお泊りになられた、城崎の老舗旅館の社長さんと若女将とスタッフの皆さんのお陰で、ご近所の浅見医院で点滴受けてます。急性腸炎でした。浅見医院の院長先生有難うございます。優しい看護士さん有難うございました。2006年01月17日
雨です!
雨降る天の橋立てに来ました。有名な股覗き、から天の橋立てを見ようと股関節を痛めちゃいました。2006年01月09日
2006年01月03日
関東最古の神社に初詣
関東最古と言われている鷲宮神社に、初詣しました。この神社はお酉様の本社です。冨久福久様(大黒神)に出会いました。皆様にも福がきますように〓2006年01月02日
2005年12月30日
白カラス亭忘年会
昨日、銀座で忘年会をやった
。二次会はカラオケ
行って、家に戻ったのが午前3時30分だった。
我がワイフ殿からきつ〜く怒られた
。
ちょい悪ダンディ白カラス亭もワイフ殿には全く頭が上がらない
。
色々な年代が集まってカラオケ
やると、それぞれの年代で流行っている唄が良く判る。20代の好きな歌
はオジサン世代には絶対に唄えない。歌詞が早くて舌噛んでしまう。
今晩もまた銀座で忘年会
。
今晩は銀座連合会3丁目支部会、銀座3丁目町会、銀三会の合同忘年会です。ちなみに白カラス亭がある銀座のバーもこの3丁目支部会と3丁目町会と銀三会とガス灯通り会に所属しております。
現実にはガス灯通り真ん中の焼き鳥屋さんの隣は煉瓦亭
って明治からある洋食発祥の有名なレストランです。
間違っても白カラス亭はどこですか?なんて聞いたら失礼ですからご注意を。
銀座のバー白カラス亭8は今晩続きをアップする予定です。
2005年12月27日
2005年12月24日
白カラス亭クッキーの〓

我が家のお転婆娘2ヵ月のシーズ犬、クッキーの新しい〓がきました。2005年12月20日
白カラスの家族
白カラス亭の新しい家族です。シーズ犬のクッキーです。2ヵ月の女の子です。2005年12月18日
白カラス亭ーうちのクッキー
うちに昨日、一匹の仔犬
が家族に加わりました。10月13日生まれのシーズ犬です。2ヶ月の女の子ちゃん
で、名前をクッキーとつけました。
夫婦二人で、てんやわんや
なんです。ウンチの始末、食事の世話、暖房、照明、まるで人間の赤ちゃんをおんなじです。
環境に慣らす為、ここ二・三日は出来るだけ、知らん振りをするようにドッグショップで言われました。
でもあの瞳
でじっと、見つめられると、つい抱っこしてあげたくなります。
躾けの第一歩って結構、大変ですね。
今度クッキーの写真も掲載します。
2005年12月16日
白カラス亭の俳優好き嫌い
サラリーマンを辞めて、家での仕事をするようになったら、ビデオを見る機会がものすごく増えた。
「24」のシーズンXが出来上がっているらしい。ジャック・バウアーはどうなったんだろうか?主演のキーファー・サザーランドのオーバーアクションがちょっと凄過ぎって感じがするが、本人は静かな人間らしい。タバコ吸い過ぎって思うのは僕だけ?
ジョニー・デップの作品を最近沢山見たけど、あの視線が妖しいというか結構行っちゃってる。視点が合ってないような気がするのは僕だけ?
二コール・キッドマンの若い頃からの作品も沢山見たけど、綺麗な顔立ちで、結構裸にもなる。演技力はいまいちって感じがするのは僕だけ?
僕の一押し俳優はニコラス・ケイジだ。あの垂れ目が、見ている観客の心をくすぐる。「ああ、あんただったら、OKだよ。」ってな感じで許してしまう。そう思っているのは僕だけ?
マイケル・ダグラスの演技は素晴らしいと思う。親父さんのカーク・ダグラスはちょっと大根っぽかったと思うのは僕だけ?
高橋英樹さん、赤い着物で、越後製菓のお餅の宣伝、できたら辞めて欲しいですね。貴方はあのような宣伝には向いた方ではないです。はっきり申し上げて貴方のは一本調子の演技なのですから、バライティーにはむきません。桃太郎侍で通して下さいって思うのは僕だけ?
2005年12月15日
白カラス亭の広告掲載決定
ちいちゃな広告かも知れませんが宜しくお願いします。見てくださいね。2005年12月10日
白カラス亭モノローグ
銀座の師走は本当に騒々しかったです。
ま、金曜日の夜ってこともあります。
銀座4丁目コアビル6Fのブックファーストで自分の本「イザナを継ぐ者」が売られているのを見ました。
そりゃ嬉しいに決まっているじゃないですか。なんと、なんと、あの大作家でいらっしゃる内田康夫さんの本の隣に積まれて置いてあったのですよ。
作家デビューして最初の本が本屋に積まれていたのです。この嬉しさは作家でなければ判らないかもしれないねぇ。ま、作家のマスターベイションだよね。
しかし、本が売れなきゃ、作家はご飯
が食べられないのです。そこで、私は決めました。アルバイトします。ラブレターが上手に掛けない方。怨みつらみを上司や恋人や夫や妻や嫁や姑に直接言えない気の弱い方。是非一度私にご相談下さい。
私が責任をもって、ラブレターや離縁状の代筆
をいたしまっせ。(ここだけ関西弁)
代筆の結果は自己責任でお願いします。
皆さん、私の本「イザナを継ぐ者」ー新風舎刊ー買って下さいね
そして、感想をお願いしま〜す
2005年11月16日
白カラス亭の呆れた捨て台詞
ああ、なんでなんでこんなに馬鹿ばっかり??みんな病気だぁ〜!今日銀座に行った。後ろから追い抜いて行った若造がなんと、歩道でスケボーだと!!そんなとこで、存在をアピールするな、お前は歩道が何の為にあるのか知らない馬鹿だ!
銀座三越前って結構にぎやかでうるさい交差点だけど、超を越すうるさいでか派手アメ車が、騒音を撒き散らして晴海通りをゆっくり走って行った。運転しているお前はうるさくないのかっ!って聞きたい。騒音防止条例違反のお前は耳垢がごっそり詰まった音馬鹿だ!
我が家の近くのスーパーの駐車場は何時も満杯だ。ところが、客はそんなに入っていない。何故駐車場だけ満杯なの?判明しました。お隣のフィットネスジムに通う中年太りのおじさん・おばさんが皆で停めれば怖くないって、駐車していたのだ。痩せて健康になる為にフィットネスジムに通うんだったら歩いて来るか走って来い。車でフィットネスに通うお前は馬鹿だ!
午後のすいている電車に座っていたら、結構お年寄りのおじいさんが俺の前に立った。席は他に結構空いているのに、俺の前にじっと立っている。ばつが悪いんで、どうぞ!って席を立ったら、「ああ、他に行くからいいよ。」だって。だったら最初から、俺の前に立つなっ!てんだ。ああ、どうして世の中こんなのばっかりなの?
2005年11月09日
白カラス亭主人独白
作家なんて気ままな職業だと思う。果たして職業なのかな?とまで感じている。毎日サラリーマンのように出勤する訳でも無いから通勤地獄からも解放された。仕事のノルマがある訳でもない。上司からの命令と部下からの怨嗟の声の板挟みもない。毎日仕事が来る程売れっ子作家でもない。才能が有るのか無いのかも判らない。なんせ今始めたばかりの作家稼業で、どうしていいのか、右も左も判らない。判らないから明日の生活も判らない。でも、心は妙に平穏で幸せを感じている。何とか食べて行けるからかもしれない。
今日のように日差しに溢れた晩秋の午後、拙宅の四畳半に寝っ転がって、本を読んでいるうちに転寝をしてしまった。気が付いたら外は真っ暗で、二階でテレビを見ていた女房殿まで昼寝をしてしまったらしい。なんと夫婦で別々に昼寝をしていて気が付いたら夜だった。まことにノンビリしたというか馬鹿夫婦である。
永井荷風が著者だろうと謂われる「四畳半襖の下張り」のような襖は拙宅にはないから、このような作品は生まれてこない。浅草の踊り子達に囲まれながら、三味線を弾く雅趣も僕には無いから「踊子」なんて作品も出来やしない。自らを「偏奇館主人」と名乗って耽美主義の文章を書き続けた偉大な巨人に習い、自らを白カラス亭主人と名乗ってはみたが、僕の脳裏に去来するのはせいぜい、キャバクラか風俗の宣伝文句と写真雑誌の露出度満点のうら若き女性の肢体ばかり。アイデアの無さ、表現力の無さ、好奇心の少なさ、まとも過ぎる我が人生観。ああ、どれをとっても偉大な先人達の足元にも及ばないと、頭を掻き毟り、風呂に入って気持ち良くなって、才能のない自分に適当に妥協している。「イザナを継ぐ者」が出版され、二作目に取り掛かっているが、筆が進まない。こんな時、偉大な先人達はどうして乗り越えたのだろうか。そう思いつつ永井荷風の「墨東綺譚」を読み直してみようと思う。SF作家を止めてこの際、やっぱりSM作家になろうかなんて・・・・?
2005年11月08日
男と女と生物として
僕は二度目の結婚をして12年が過ぎるところだが、一度目の結婚は16年続いた。そんなに浮気性な訳ではないと自負している。しかし、最近考えるのは、やはり男と女は絶対に違う生物であるとしみじみ感じることだ。今更何をと仰る方々に申し上げたいが、男は女では絶対に無いと言う、余りに当たり前のことだ。
例えば良い例だが、夫婦で仲良く一緒に朝ゴミを出しに、ちょっと離れたゴミステーションにまで出た。女房殿は空を見つめ、澄み切った晩秋の青空に関心し、色々と話を展開させて行く。こんな天気にはディズニーランドに行きたいとか、あのレストランから割引の葉書が届いていたとか、ここの家のガーデニングは何かが欠けているとか・・・・。我家だって十分に欠けていると思うのだが。
さて男は何を考えているのかって?何も考えちゃいない。ゴミを出すという唯そのことだけだ。かの有名な本、アラン+バーバラ・ビーズ夫妻の著作「話を聞かない男、地図が読めない女」は非常に僕の共感を呼ぶ。時々我家の女房殿が「貴方って、ちっとも話を聞いていない!」と怒るが、それは一度に色々聞くことができないだけなのだ。TVを見ている、新聞を読んでいる、パソコンに向かっている、こんな時に話掛けられて、応えらる男性は世の中で聖徳太子しか僕は知らない。本当は今回は健康オタクを自認する、サプリメントの話をする筈だったのだが、方向がずれてしまったようだ。会社を辞めて、糖尿病の僕の血糖値が230から140にまで下がったのは、会社のストレスからの解放とあるサプリメントのお陰である。このサプリメントについてはまたチャンスがあったらお話ししたいと思う。
2005年11月06日
雨の日
2005年11月04日
心・こころ・ココロ
2005年10月21日
秋の田んぼと老人ホーム
風も無く、暖かい日差しが車窓から運転席に差込み、10月下旬とは思えない程。埼玉県の東武動物公園近くの有料老人ホームを下見訪問しました。私の80歳の母が介護が必要で現在入居先を探しています。刈り取りがすんだ、田んぼが広がり、そこらじゅうでトンボが群れて飛行し、なんとものどかな雰囲気の景色の中に4階建ての立派な老人ホームがありました。建物の中も喫茶室や食堂やロビーは保養施設のように立派で、また各入居個室は全て綺麗に掃除され、何人もの介護する方々が優しく笑顔で入居中の老人に接していました。しかし、説明をした下さった施設の責任者の方は、高圧的、慇懃無礼で、私の心の中にあった、暖かい雰囲気を台無しにしてしまいました。どんなに立派な建物でもどんなに廉価な料金プランでも、責任者の態度によってこの老人ホームの目指している方向が何となく見えてしまい、残念でした。秋の日差しを一杯に浴びて、この老人ホームは田園風景の中にその威容を誇っていました。その周りをトンボが群れて飛行してました。尾長が3羽電線に止まって甲高い鳴声を発していました。ふと駐車場のそばに早くも山茶花が数輪蕾を開きかけていました。人間の世界の動きや騒々しさやしがらみとは関係なく自然の動きは季節を教えてくれます。
2005年10月18日
やっとブログに登場です
中年作家の朱尾晃輝(アカオ コウキ)です。かなり中年です、フォー!でもこれからが僕の出発なのです。フォー!って、これじゃパクリですからこれでおしまい、フォー!白いカラスの世界って何じゃらほい?カラスって黒いんとちゃうかい?その通り、カラスは黒いです、でも僕の夢の中に現れたカラスは白く艶やかなカラスでした。てな訳で僕は白いカラスと共に会社を辞めて作家稼業に専念しようと一大決心を5分で決めました。15年勤めたあの、世界的トップブランド、あのシャネルの、シャネルですよ、シャネルの総務部長の椅子を捨てて来ました。格好良いでしょう。なんて偉そうにしてますが、現在は天下御免の素浪人です。あ、忘れてました。僕の本、11月25日に書店に並びます。都内は先行販売の予定です。新風舎から「イザナを継ぐ者」を皆さんご購入お願いします。続きはまた後で・・・・・。朱尾晃輝(アカオ コウキ)でした。



